ぼくは旅への衝動に駆られ、アメリカ西部に向かった・・・
第1章:移植から2年が過ぎて
2006年6月21日に骨髄移植を受けたときは、未来のことはもちろん明日のことさえも予想できなかった。
副作用や後遺症のような症状に悩まされながら、1年目のほとんどは病院で過ごし、自分についてや命のことを深く考えた。
免疫抑制状態にあった身体は、帯状疱疹やサイトメガロという強力なウィルス、顔面の神経麻痺などの症状を引き起こし、しばらくは次から次へとやってくる合併症に悩まされる毎日が続いた。
口中にパチンコ玉サイズのヘルペスができて飯が食えなかったり、ウィルスの感染症で嘔吐と下痢が2週間以上続いたり、体重は50Kg前半まで落ち込んでしまい、自他ともに認める”もやし”になった。
一時は、手も震えて動機もひどく、もう運動は出来ないのではないかというほど身体機能も落ち込んだが、退院中から少しでも運動をしていたおかげか時が経つにつれて体力がついてきた。
もちろん移植治療の過酷さは予想していたが、そんな風にして辛い日々は過ぎていった。
そしてぼくは5年生存率37%と言われた”命の壁”を乗り越えていった。
(実際には、、まだ若い年齢も加味して40%を越える程度だと言われた)
まるで巨大な波に飲み込まれたかのような移植治療の日々。
あっという間に時は経ち、移植からちょうど2年の月日を迎える2008年6月21日。
まだ体力が戻らない重い体で、ぼくはこのヨセミテを旅していた。
カリフォルニアに住んでいた頃から思い入れの強かった場所、それがこのヨセミテ国立公園だ。
神々の箱庭といわれるヨセミテには人を魅了する自然景観が溢れている。
移植後、初めての旅にはもっとも相応しい場所だと感じていた。
旅の日の朝は良く晴れていて、ヨセミテの山々は神々しいほどに輝いていた。
美しい渓谷を見下ろしながら、ぼくは幸せについて想い廻らせた。
病気を経験する前と今では幸せについての価値観が自分のなかで大きく変わっていることを実感する。
まだ続く闘病の生活がその視点を変化させながら揺るぎないものに高めていくのだろう。
やはり価値観は人それぞれが持っているものであり、自分自身で育んでいくもののようだ。
それはその人が経験したことに基づいていて、それぞれが持つ固有の習性なのである。
だからこそ誰しもがあまりにも愛おしい個人としてこの世に存在しているのだ。
カリフォルニアの透き通るような空の青さは、単細胞的な思考の持ち主である私にそんなことまで考えさせた。
第2章:ゆっくりとトボトボ行く
ヨセミテでは「歩く」ことを楽しむ環境が揃っている。
バックカントリーと呼ばれる徒歩でしか入れない数十キロもあるようなコースがいくつもある。
歩道以外はそのままの自然が残されているのでとても静かで、気付いたら自分の世界に入って妄想していたりする。
たまに森の奥から木々や枝が擦れる音がガサガサなどとすると、熊か!などと恐怖に縮みあがったりもする。
その音の主の正体は、ほとんどが可愛いリスなのだが・・・。
ヨセミテは美しいトレイルの宝庫。
自然あふれる道を歩いているだけでパワーがもらえる。
しかしながら、まだまだ体力がないので速度は極めてマイペース。
アメリカ人のバックパッカーなどは、すれ違い様に必ずハイ!と挨拶をしてくれる。
日本人だとわかると笑顔で話しかけてきたりすることも多く、日本人が快く受け入れてもらえるのが嬉しい。
体力がないのか、足が短いのか、
後からやってくるアメリカン・ハイカーにどんどん抜かされるが気にせず歩く。
「アイ アム ミスター マイ・ペース、アーハーン!?」などと訳のわからない事を言いながら自分を納得させてトボトボと歩く。
美しい自然が残る森の中は被写体の宝庫であり、少し進んで立ち止まり写真を撮る。
そんな事を繰り返しながら、ハァハァと新鮮な空気を吸っているのでかなりの生気を養えるのだ。
森深い場所でキラキラ光る水辺の写真を撮っていると、気付いたら背中に蚊がウジャウジャと30匹くらいとまっていた。
それでも気にせず・・・いや!そんなわけに行かないのでその時はダッシュで逃げる。
蚊に刺された痕は真っ赤になり、やがて黒っぽくなり帰国後2週間も残っていた。
たとえどこにいったとしても文句1つ出ない最高の環境などはないのである。
こんな森と泉に囲まれたパラダイスだからこそ、蚊はウジャウジャ飛んでいるし熊がウロウロしていられるんだな。
ふと初めてヨセミテを訪れた時のことを思い出した。
たしかあれは2004年の夏。
サンディエゴに住んでいた日本人の仲間たちと念願のヨセミテキャンプ旅に向かった時のことである。
山間の星空を見てから夜中に車でキャンプ設営地に戻ると、キャンプサイト入り口の森の暗闇に怪しく光る間隔の狭い二つの点が見えた。
徐々に近づいてライトで照らしてみる。
その光る二つの点というのは、動物の目にライトの照射が反射している、紛れもなくあの怪しい光である。
そのとき、その光がさっと動き、大きな影がムックリと暗闇に浮き上がった。
うわ!熊だ!
こちらが慌てるヒマもなく、熊はまた身をスーッと屈めて森の奥へと素早く消えていった。
驚く間もないくらい一瞬の出来事、それが熊と初めて出会った瞬間だった。
それもテントを張ったすぐそばでのことだ。
その夜は、仲間たちとその事について話し合い、食料の保管を厳重にして残り物のないように気を付けてテントに潜り込んだ。
翌日、夜明け前に目が覚めあたりを見回していると、ひとつ面白い事が頭に浮かんだ。
前日に一番怖がっていた仲間は一人用テントの中でスヤスヤと寝息を立てている。
そのテントにそーっと近づき、音を立てずにジッパーを開けて、中に忍び込んだ。
気持ち良さそうにスヤスヤと寝ている友人に気付かれぬよう、ゆっくりと彼の上に多いかぶさった。
そして、彼の身体に手をかけて、
「ウガーッ!」と叫びながら揺り動かした。
「ギャッ!ウワッー!」と彼の驚きようったら、今まで寝ていた人のものではないような、
咄嗟に起き上がりテントの隅に逃げる素早さは今まで見た事もない動きだった。
スマンスマンと思いつつも、その日は笑いが止まらなかったなぁ。
そんな思い出に浸りながら、森を見上げればやはりここはあまりにも清澄なパラダイスなのである。
第3章:朝靄のなかを
6月でもヨセミテの早朝は冷える。
陽が昇り始めてしばらくするとキンキンと光が差し込み、一気に暖かくなる。
太陽のありがたみを肌で感じたいなら、夜明け前から日の出にかけて空を見ながらじっとしているのが一番だ。
この日はいつになく目覚めが早かった。
それもそのはず、念願のマーセッド川での釣りを計画していたからだ。
まだ陽が昇らない早朝に宿を出て、釣り竿を抱えて朝靄のなかを歩く。
森を抜けて川に下り、魚のいそうな場所にルアー(疑似餌)を落とし込む。
ゆったりとした川の流れではルアーを見切られてしまうのか、追っては来るが食いつくまでに至らない。
少し場所を移動して、川が開けて水量が増し、流れが急になったところでルアーを泳がせる。
竿にグン!というヒットサインが伝わり、身体に緊張が走る。
小型だけど元気なレインボートラウト(ニジマス)が掛かる。
そうなると写真も忘れて釣りにのめり込む。
木を伝い川を渡り、大きな岩場によじ登る。
水に濡れて滑りそうな岩場でも、さすがはサーファーなので問題はない。
なぜなら・・・すべり落ちても冷たい水には慣れているから(ってそっちかい!)
ヨセミテ内のマーセッド川では、釣った魚はすぐにリリース(川に戻す)するのがルールだ。
魚もなかなか賢いのか、その後はあまり釣れないのでまた移動。
ヨセミテ公園を一度出て、さらに山の上へ向かう。
サドルバック・レイク(Saddleback Lake)というまだ雪が残る山間の湖でキャスト。
ここはSaddleback(山の鞍部)の名の通りに山の尾根のくぼ地にある湖。
海抜3000m以上の高さがあり、6月の昼間でもかなり肌寒い。
気温が低いという事はトラウト(鱒)の活性がいいはずなので、既にお昼近い時間だが十分に期待が出来る。
冷えた空気があまりにも新鮮でおいしいここではさらに2匹釣りあげた。
早朝から実質2時間程度の釣りは釣果こそ少なかったものの満足いくものだった。
トラウトの模様は神秘である。
まさに自然界の美しいデザイン100選に選ばれるべきセンスである。
あまりにも静かな森の中でたった一人釣りをしている。
この上ない至福の時間であった。
こういう時を過ごしていると本来の自分を蘇生してくれる気がする。
まあ要するに、何事にも変えられない贅沢ってやつですなぁ。
第4章:山火事
昨日の夕方、道路際に立ててある看板は山火事サインが“極めて危険”となっていった。
そのサイン通り、町は朝から煙が舞っている。
外を歩くととても煙くて煤臭い。
ヨセミテに来て4日目、公園の南に位置する町フィッシュキャンプで山火事が起きた。
朝のニュースでも山火事が報道されて、スモーク(火事の煙)がひどくて健康に良くないと伝えていた。
乾燥した気候のカリフォルニアでは山火事が起きると一気に広がる可能性がある。
この日はトレイル歩きを控えて車でヨセミテバレー内を回ることにした。
どこに行っても真っ白の世界。
レンジャーが公園内を動き回り、辺りを双眼鏡でチェックしている。
詳しく聞いてみると、この火事はキャンパーの火の不始末が原因らしい。
すぐには消えないので数日はスモーキーな天気になるという。
森が更新するには山火事が必要という。
山を横断する道では、ところどころで焼けこげて消失した森林を目にする。
だからといって、人が起こした山火事は木にとって迷惑でしかないはずだ。
それにしてもこの真っ白な世界、初めは幻想的だなど思っていたが、慣れてきたら煙くて臭くて喉まで痛くなった。
霧で霞がかったような神秘的な森の写真が撮れるかな、とも期待したが、やはり自然へ向けた写真は嘘をつけないようだ。
霧の美しさと山火事のくすんだ煙とでは質が異なる。
しかし、夕刻には期待していた通りの焼けるような鮮やかな空が現れた。
宿でニュースを見ていると、この山火事は320Km離れたサンフランシスコにもだいぶ影響しているとの事。
帰国前にサンフランシスコに行ってみると、空気が少し煙たい匂いを帯びていて、海岸沿いなどは朝から晩まで白い霞に覆われていた。
ここは霧の街というほどなので、霧じゃねーか?という期待も持ったが、犬と人間のハーフである私の鼻は人の100倍くらい利くので、こりゃ山火事のスモークだワンと判断した。
おかげでサンフランシスコで狙っていたゴールデンゲートブリッジの朝焼けやダウンタウンの夜景は残念ながら撮ることが出来なかった。
気分を改めて、ここで過ごす1日はストリートをブラブラしながら雰囲気を味わおうってことにした。
旅における気の持ちようとして、気分を改めること、という大事な要素があると思う。
いろいろな期待を持って旅行に行くが、ことごとく期待はずれに見舞われる事は往々にしてある。
そんなときは視点をがらりと変えて、目の前にある”何か”を楽しむようにする。
旅を終えてみると意外にもその”何か”が旅行前の期待をはるかに上回る素晴らしい出会いだったりするものだ。
郷に入ったら郷に従え、である。
「期待はずれになるのは日頃のおこないが悪いからだ!」という説もあるが、おめえさん、それを言っちゃぁおしめーよ。
第5章:夕焼けから夜になり、また朝が始まる
旅の終わりに見る夕陽、それはまた次の旅への誘いでもある。
人間は自分たちで築いた文明から逃れるように野生の土地に向かう時がある。
人はその地へ、
刺激を求めに行くのか、
癒されに行くのか。
野生は優しくもあり、過酷でもある。
そして自然は、しっかりと向き合えば何かしらの期待に応えてくれる。
自分一人では抗えない大きな力に支配されていると感じることがある。
その得体の知れない何かに押しつぶされそうになったとき旅に出たくなる。
時間を忘れ、自然の中に身を溶け込ませる。
自分を見つめ直す静かなときが必要になる。
それは、情熱的な夕焼けが冷めて漆黒の闇夜に包まれても、
また必ず朝がくるような、ごく在り来たりのことである。
またいつかたくさんの機材を抱えてヨセミテを旅しようと思う。
ここには人を夢中にさせる何かがある。
ここの空はあまりにも青くて途方もなく広い。
自分はとても小さいと思えてくる。
その小ささがまた心地よくて、
止めどなく流れる現実を優しく受け止めてくれるような、
どんな人でも迎え入れてくれるような寛大さがある。
ただし、入園料をきちんと払えばのことであるが・・・。
帰国してからは病院や貯まった業務など、忙しさに追われていた。
この記事を書いた2009年初頭には、この旅の意味が少しずつ見えてきていたことがある。
人は大病を患い、夢や熱い気持ちをすべて奪い去られても、
思いを同じにする家族や心優しき仲間がいれば、
そしてわずかながらでも胸に残った希望があれば、
いくらでも強く生きていけるのだ。
明日に恐れて眠れない日だって、どうしようもない仕打ちだって、
生きようとする力を上回ることはできない。
どんなときも空を見上げることさえできれば希望は光輝くんだ。
嵐の後に出る虹のように。
2009年2月17日
Posted in 2009.02.25