ふと、ほぼ日刊イトイ新聞を見ていると、「免疫」について触れられていた。
糸井重里さんの「今日のダーリン」に書かれていたのだが、
かの糸井さんは小児喘息だったという。
ぼくも子供の頃はひどい小児喘息で、発作が出るたびに何も出来なくなることが悔しくて仕方なかった。
冬はよく喘息が出る季節で、遊んでいて思いっきり走ったりするとだいたい出る。
大好きな犬なんかと接していて、過剰に触れ合ったりすると、やっぱり出る。
修学旅行などで枕投げをやり、楽しくて仕方ない時間が一段落すると、猛烈にゼーゼーと出ていたりする。
ホコリが舞う部屋で一人息苦しい時を耐え忍んだものだ。
大人になってからも喘息の発作だけはコントロール不可能な厄介者なのである。
苦い思い出はさておき、「免疫」に話を戻そう。
ぼくは移植してドナーさんの骨髄を注入した。
詳しくいうと、もともとの身体に巡っていた血が自分以外の人の血と入れ替わるってわけだ。
身体はまるで知らない血が流れることに拒否反応を示して全勢力を傾けて抵抗しようとする。
これがGVHDと言われる症状。
普段はとても役に立つ「免疫」機能が仇となってしまう病気でもある。
同時にアレルギー症状や合併症なども併発するので、移植後がもっとも過酷となる。
GVHDに対しての対抗薬として、大きくわけて2種類ある。
まずは強力なステロイド薬で対応するのだが、ステロイドは良く効くだけに弊害も多い。
長くは続けられない薬である。
もうひとつは免疫抑制剤。
これは血が身体に上手く馴染むまで、免疫を下げて受け入れ態勢を作る薬。
(免疫の過剰な抵抗を押さえるというべきか。)
こちらの薬もいつまでも飲んでいると、身体自体が弱くなってしまうという副作用がある。
普段は気にもしないばい菌にやられたり、免疫を下げることでガン細胞が発達したりする。
そう考えると、移植治療とは身体の症状をよく観察しながら、
多くもなく、少なくもなく、という”なくなく”尽くしの絶妙な投薬にポイントがある。
GVHDの症状は千差万別で、毎日違ったことが起きたりして、悪い意味で飽きない。
そんな日々を過ごすには「寛容」の精神でのぞむのが良い、と入院中に悟ったのである。
さて、糸井さんのエッセイは、
今年お亡くなりになった免疫学の権威、多田富雄さんの最後のメッセージで締めくくられていた。
それは「寛容の世界」という言葉。
医学用語としても使う「寛容」を、人間たちの社会の行く末に希望として見ていたという。
ぼくは皮肉なことに病気から寛容という精神を知ることになった。
寛容・・・心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。
たしかに今の世の中は、寛容な態度が大切なのではないかと、多くの問題やニュースを見るたびに感じる。
無駄なストレスをためずに寛容な気持ちで生きていきたいものですね。
そうそう、
移植をしたら喘息が治ったんです。
理由はもともと自分が持っていた体質から、ドナーさんの体質に変わったから・・・。
では、男性が女性の骨髄を移植したら!?
もちろん女性になってしまい、毛深い手をさらけ出し「アラ、イヤ〜ン」などと言ったりしちゃうのよ・・・
なんてわけはありませんのでご心配なく。
その辺はお医者さんにも確認しましたので、確かな情報でございます。
30日はゆっくりと三十日蕎麦でも食べましょう。
ソバは風雨に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になる事から縁起を担ぐ食べ物らしいですよ♪
それではみなさん夏バテせずにお元気で!