女だけの・・・

地元、天平の丘公園へブラリと行ってみた。

ここは開発され続ける片田舎にあってもまだ自然が多く、地域の人が育てるお花畑や古墳、雑木林などが残る里山的な場所。

周囲はもちろん田んぼと畑の園。

春には桜が咲き、菜の花が咲き、ポピーが咲き、季節を感じる田舎の風景である。

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お気に入りの場所でコンパクトカメラ片手に、まさにブラリと行くに相応しいところである。

普段は空いているこの辺りも桜の時期になるとどこから来たのかたくさんの観光客でごった返すが、それもまた風流であったりする。

僕が訪れた頃にはすでに桜は散っていたが、花見客は見事なほどに満開、いや満席状態で広場の芝生は人で埋まっていた。

まあ花見とは建前であって、日本古来の「酒が飲める飲める飲めるぞ♪酒が飲めるぞ♪文化」の景色なのである。

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この天平の丘は地元では昔から”尼寺の桜”と呼ばれていた。

その由来を気になって調べてみると、現下野市国分寺に属するこの公園は、741年(天平13年)、聖武天皇が国の情勢不安を鎮めるため、各地に建立を命じた寺を国分寺という。

どうりで、いろんなところに国分寺という地名があるわけだ。

地元のここは、747年頃に当時の下野国として国分寺が建てられたという。

また同時に国分寺尼寺(あまでら)を建立し、10人の尼さんが赴任された。

ということで、この地名「国分寺、天平の丘、尼寺」という呼び名が使われているのだった。

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では、なぜ「天平の丘の桜」や「国分寺の桜」ではなくて、「尼寺の桜」と呼ばれるのだろうか。

桜とは、淡い桃色を春風に揺らしながら美しくも刹那に咲き誇るという、とても女性的な雰囲気をもった花である。

そんな可憐な移りゆきをみせる桜を、尼寺の尼僧たちの尊ばしくも艶やかな姿にダブらせて、「尼寺の桜」と呼んだのではなかろうか。

ああ、いつの時代も男心はなんとやら・・・である。

まっ、これもあくまで男心はなんとやら・・・的な推測なんですがね。

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